生まれて間もない新生児でも,さまざまなコンピテンス──環境に応じていく能力──をもっています.たとえば,ヒトの顔に注目し,その口や舌の動きを模倣できること(新生児模倣)や,韻律的な特徴から母親の声を識別できることなどが知られています.これらコンピテンスは赤ちゃんが環境に働きかけていくための原動力になるのですが,それを開花させていくには周囲の人間(とくに養育者)からの導きと働きかけが不可欠です.自ら活動していく力が,その活動を見まもり支えようとする環境と出会うとき,そこに社会的発達があるのでしょう.このことを生後1年間の母子間──赤ちゃんと養育者とのあいだ──のやりとりにみてみましょう.
- 生後3ヶ月ごろまで
発声・表情をともなった〈アイコンタクト〉(見つめあい)が確立されます.視線をあわせたりそらしたり,また声や表情を変化させることで,母子間のリズミックなターンテイキング──会話のような送受の交代──が形成されていきます.この時間的構造は,養育者が赤ちゃんの応答パターンを読みとることによってつくりだされるものです.
- 生後3〜9ヶ月ごろ
養育者が赤ちゃんの欲求・快不快などを積極的に読みとり,それに応答してやることで,非対称ながらも外見上は〈心のつながり〉を感じさせるやりとりが形成されていきます.このようなやりとりのなかで,赤ちゃんは養育者からの働きかけを少しずつ予測できるようになっていき,やがてその予測を反映した関わりをみせるようになっていきます.
- 生後9ヶ月ごろから
視線や指さしなどを利用して,相手といっしょに同じ対象を見ること,すなわち〈共同注意〉が機能しはじめます.対象を共同化しつつ,その対象に向けられた声・表情・身体動作をたがいに参照しあうことで,対象への意味づけ・価値づけ・扱いかたなどを母子間で共有していきます.対象を軸としたやりとりのなかで,赤ちゃんは自他を重ねあわせたり比べたりする経験を積んでいくのです.
このような生後1年間の発達によって,相手の気持ちや意図,すなわち〈心の状態〉を共感的に理解するための基礎がつくられていきます.ここから,コトバ・道具使用・文化(社会的慣習)など,さまざまな社会的スキル=コミュニケーション能力が開花していくのでしょう.
〈アイコンタクト〉と〈共同注意〉は,母子間のやりとりを支える最も基本的なデバイスです.これらデバイスによって,赤ちゃんと養育者は,たがいの注意と情動を時間的・空間的にむすびつけ,その場の楽しさ・驚き・不満などを共有してきます.すべてのコミュニケーションはこのような〈共有〉からはじまるのです.
〈アイコンタクト〉とは,文字どおり,たがいの顔(とくに目)を見つめあうことです.たがいの視線や表情をモニタするだけでなく,やりとりに時間的な同期を与え,たがいが相手の視線や表情をモニタしていること──たがいが相手を意識していること──を相互了解させる役割をもっています.
〈共同注意〉とは,視線や指さしなどを手段として,相手と同じ対象を見ることです.相手の注意をフォロー(追跡)することもあれば,相手の注意を自分の視線や指さしでガイド(誘導)することもあります.その発達は,養育者が積極的に赤ちゃんの注意をフォローあるいはガイドすることから始まり,すこしずつ赤ちゃん主導で養育者の注意をフォローあるいはガイドする機会も増えていきます.対象についての知覚情報を共有するだけでなく,やりとりに空間的な焦点化を与え,同じ対象を意識していること──ゆえに表情や声はその対象についてのものであること──を相互了解させる役割をもっています.
〈アイコンタクト〉と〈共同注意〉によって,赤ちゃんと養育者は,たがいの注意と情動をつなげあい,さまざまな対象への関わりを相互参照・共有していきます.その対象とは,オモチャのような〈モノ〉であったり,モノの存在・動き・関係のような〈コト〉であったりするでしょう.それら対象への情動(楽しさ・驚き・不満など)を参照することで,相手がどのようにその〈モノゴト〉を感じとっているのかを共感的に捉えることができます.たとえば,初めて見る対象(見知らぬ人物など)に接したとき,赤ちゃんは,その状況を共有している養育者の情動を読みとり,それにもとづいて対象への関わりかたを決めようとします──これは〈社会的参照〉とよばれるものです.このような共感をとおして,赤ちゃんは,さまざまな対象の捉えかた・対処のしかたを,他者(とくに養育者のような愛着対象)から学んでいくのです.
他者と〈モノゴト〉の知覚を共有し,それに向けられた〈心の状態〉をやりとりするループのなかで,赤ちゃんはさまざまな対象の意味や価値を学んでいきます.コトバや文化といった社会的慣習──社会のなかで共有・継承される知識──は,このような他者をとおして学ぶこと,すなわち〈社会的学習〉によって習得されるのです.
社会的学習は,対象についての直接的な価値づけ──『たのしいね』『もう一回』といった気持ちや欲求──を,声の抑揚や身体動作をとおして共有することから始まります.このときの声の抑揚や身体動作は,大きさ・速さ・方向などに,その情動的な内容を反映した特徴をもっています.内容と表現のあいだに生理的なつながりがあるからこそ,言い換えれば,同じような身体を共有しているからこそ,コミュニケーションの第一歩が踏み出せるのでしょう.
やがて社会的学習は,より恣意的な──内容と表現のあいだに身体的なつながりのない──もの,すなわちシンボル(記号)の共有へと拡張していきます.たとえば《手》のことを,日本語では /te/,英語では /hand/,エスペラント語では /mano/ と呼びますが,これら音と意味内容のあいだに身体的な必然性はありません.コトバのような社会的慣習は,他者がみせる対象への行為(操作・発語など)を〈模倣〉し,やりとりのループなかでその意味=効果を共有することによって学習されていくのでしょう.